活字とうたの日々は...

音楽系陰男子のエッセイ

眠い日々

眠い。
ねむいねむいねむい。

はぁ。

最近やたらとやることが多く、深夜まで起きる日が続いている。
この生活サイクルは良くない。
肌荒れもおこるし、眠いし、深夜どん兵衛食べちゃうし、眠いし、とにかく眠い。
そもそも僕がやるべきことを溜め込む性格がこの生活サイクルを生む元凶なので、ついこの間“やるべきことやるまで他のことしない“と意志を固めてみたものの、人の性格はやはりそんな簡単には変わらない。
何よりの証拠に、僕は今やるべきことをせず文章を書いている。
我ながら困ったものだ。

そういえば数週間前面白い呟きを見た。
たしか夏休みの宿題が終わってない人に向けて、“夏休みの宿題楽しみすぎて最後まで取っておいたんださあやるぞ“みたいな感じで心を騙してみよう的な内容だったと思う。

もしかしてこれは今の自分にやってみればいいんじゃないか!
なんてすばらしいんだ!
ってことで今やるべきことはギリギリまで取っておこう。
おやすみなさい!





絶対ギリギリなって後悔するパターンだ。
これは笑えない。
じゃあどうする。



...結局コツコツやるしか道はないだろうなぁ
嫌だけどやってきます。
でも出来るだけ早く寝ようってことは心の片隅に。

インスト曲 ゲームセンター

https://youtu.be/qfnf0NJzht4
初めて作曲をやってみました。
ゲームセンターという曲です。
ゲームスタートからゲームオーバーまでの流れを感じながら作りました。
2分もない短い曲ですので、どうぞ聴いてみてください。

道に迷う日々

僕はよく道に迷う。
いわゆる方向音痴というやつである。



僕は特に夜道が苦手だ。

昼間ならわかる道でも、夜になると一気にわからなくなる。
方向感覚がなくなるのだ。

実際、僕は家から徒歩約10分圏内のとこで道に迷うことがある。
その道は普段通らない(といっても何度か通ってることはあるのだが)道だったし、暗くてよくわからなかったからだ。
まあ今はスマホで地図と現在地がわかるので家に帰れはしたけれど、道も分からない自分が悲しくなった。


時々思う。
もしこれがもう少し前の時代だったら
道に迷ってもスマホはない。
家に帰れないじゃないか!

こんなときは"人"に聞けばいいだろう。

困ったときは知らない人でもお互いに助け合う、人間らしく素敵な行為だ。



しかし今は違う。
"人"でなく"機械"に聞く時代なのだ。
もちろん機械が悪いとは言わない。
機械の方が正確だし、早いし、何より人に話しかけるという勇気が必要な行為をしなくていい。

でも、何故か僕は味気なさを感じてしまう。

小学生の時、その頃から方向音痴の才能をみせていた僕は、ちょっと遠くまで遊びに行って帰り道がわからなくなったことがある。
しかし、人見知りな僕は人に話しかけることができなく、時間だけが進んでいった。
このままだとさすがに駄目だと、自分の持てるだけの勇気を振り絞り、二人組のおじさんに話しかけた。
すると、そのおじさんはとても親切で、自分の拙い説明を理解し家の近くまで連れていってくれた。
この時、僕はすごく嬉しかった。
この嬉しさは家に帰れるという嬉しさだけじゃなく、人の温かみに触れられた嬉しさでもあったと思う。

そして、今もこの温かみはなくなってはいない。
触れる機会が少なくなっただけのはずだ。

この温かみが時々恋しくなるのは僕だけだろうか。

過保護のカホコとFamily Song

今週のANNでついに"Family  Song"がフルOAされましたね。

そしてそれに合わせ、"Family Song"が主題歌となっている日テレ系列のドラマ"過保護のカホコ"も始まりました。

 

あぁ!高畑充希ちゃんかわいいぃぃぃ!!!

 

ごめんなさい。ちょっと自分の気持ち悪い部分が出ちゃいました。

にしてもあの目のキラキラ感とかヤバイっすね。マジで。

 

"過保護のカホコ"は超過保護な家庭に育った箱入り娘カホコが、竹内涼真くん演じる画家志望の麦野初との出会いをきっかけに「自分探し」を始めるという内容です。

てか初くんカホコのこと散々批判しておきながら自分は進路調査書も出さないし、カホコに自分のバイトやらせるしひどくないっすか!

でもかっこいいから良いか。

 

…良いかってなっちゃう辺りイケメンってずるいよね。

 

まぁそれはともかく、視聴率二桁で好スタートをきった"過保護のカホコ"これからどうなるのか楽しみです。

毎週水曜10時はTVの前に!


【過保護のカホコ】7月12日水曜よる10時スタート PRスポット 本編映像第1弾 「何でこんなに過保護すぎるんだ!?」篇

 

そしてFamily Song。

 

ドラマと雰囲気ピッタリで最高っす。

温かみが感じられると共に、頭の中に幸せな色が広がる曲ですね。

あと、サビの"次の"っていうとこの裏声が曲を輝かせててすごく好きです笑。

源さんは、60年代末から70年代初めの頃のソウルミュージックを今の日本に立ち昇らせるというアイデアのもと、曲を書いたそうです。

とても素敵な考えですし、Family Songも良い曲に仕上がっています。

CD発売まで待ちきれないですね!

 両方とも要チェックです!

カラオケの日々

最近カラオケによく行っている。


ある日は友達から誘われたり、ある日は打ち上げ的なもので行ったり、またまたある日は急に歌いたい欲求が爆発してヒトカラに行こうと思ったけれども、あまりヒトカラ経験がないため"どうしよっかなぁ"と散々悩んだ末に仲のいい友達を誘ってみて、でも急にはさすがにムリだったのでその翌日行く予定を取り付けたが、一晩経ったら歌いたい欲求はなくなって、でも誘っておいて断るのも申し訳ないから仕方なく行ったりして、なんだかんだ週1ペースでカラオケに行く日々が続いている。


それでもやはりカラオケは楽しい。
ストレス解消にもなるし、他の人が歌うのを聴いて自分のふれたことのないジャンルの音楽を知ることができる。


僕はカラオケによっていろんな音楽に出会った。


昔は、今時の邦ロックを聴いて"ウェーイ"みたいな感じだったが、70年代から90年代の曲も聴くようになった。
昔の曲の良さや深みを痛感した。
自分の幅の狭さに気が付いた。


もちろん最近の曲を嫌いになったわけではない。
ただ、今とは違うベクトルの音楽にふれることがとても新鮮で、自分の音楽性が育まれてるような気がした。


でも、僕がここまで昔の曲に引き込まれたのは1つ大きな理由がある。
それは友達の歌唱力が抜群に高いからだ。
曲の良さを伝える時、歌い手の上手さによって評価は変わってくる。
その点で友達は完璧だった。
布施明さんばりの声量と響きで、正直ギャグソング歌ってても心を揺さぶられそうなレベルである。



あー羨ましい。
僕もあの声を持っていたら…

歌っていて気持ち良いだろうなぁ。

周りから尊敬されるだろうなぁ。

モテるだろうなぁ。



…最後のは自分を磨かないとダメか。
まあともかく人を揺さぶれるくらい歌が上手くなりたい。

急には上手くならないだろうから、短冊にでも書いて吊るしておこう。

[歌を上手くしてください。]
[…あとモテたい。 ]

叶うかなぁ。
叶ってくれ(切実)。

人見知りの日々

僕は大勢が苦手である。



大勢の人が集まる時、みんながいろんな人と喋っている中僕は特に親しい友人としか喋らない。
というか喋れない。
…悲しいことに。

そして、もし親しい友人が別の人のところへ行ってしまったら最後、僕は一人銅像のように固まり、時が過ぎるのを待つしかないのだ。
僕はこんな場面を幾度となく経験してきたが、その時間はほんとに苦痛だった。





僕はもともと一人でいることが好きである。
一人の方が気を使わなくて済むし、自分を作らなくてよく、楽だからだ。
それに人とたくさん関わってると、明らかに話が合わないなぁという人とも話さないといけないので面倒くさい。

また、僕は沈黙が苦手だ。
僕はあまり話題を持ってないし、相手の話を聞いてそれを膨らませる技術もない。
もちろん沈黙が許されるくらい関係が深くなったら別に気にしないのだが、そこまで達してない時に沈黙が起こると非常に辛い。
僕にとって、それは地獄のような時間なのだ。

その点、やはり一人サイコーだなぁ。




…ここまで、人と関わるのを否定しといてあれなのだが、実は人といるのも嫌いではない。
ふざけあったり、語りあったり、それはそれで楽しいからだ。
こっちはこっちで魅力がある。



え? じゃあなんで一人でいるのかって?



それは僕が教えてほしいくらいです。
ほんとに。

僕としては自然にいるつもりなのだが、何故か周りより友達が少ない。
これは昔からずっと直面している現実だ。
まあ僕が積極的な性格じゃないのは自分で分かってるし、友達が全くいない訳でもないので、今に大きな不満はない。

でも大勢の中での孤独はどうしても慣れないのだ。



昔、コミュニケーション能力の高い子に聞いてみたことがある。

"なんでそんな友達できるの?"

この答えは今でも覚えている。

"んー。普通に話してればなんかできたかなぁ。"



僕は呆然とした。
その普通が出来ないがためにどれだけ苦労したことか。

でもそれと同時に理解もした。
友達作りにも才能は存在することを。
そして僕はその才能に恵まれなかったことも。
もう諦めるしかなかった。
これからも耐えるしかない。

でもその時なんか吹っ切れた気がする。
諦めがついたことで、割り切って生活できるようになった。

これからも人見知りの日々は続く。

ふらつく日々

僕はまっすぐ立ち続けられない。
いや、正確に言うと僕は両足に均等に力を入れて立ち続けられない。


もちろん意識すればしっかり両足を使うことはできる。
しかし、ちょっとでも意識が足から遠のいた瞬間、どちらかの足が少し曲がり、反対側の足だけに重心をかかる。
端から見れば、ふらふらしていてだらしない姿勢に見えるだろう。


思えばこの姿勢のせいで、ずいぶんと損をさせられた気がする。
例えば、集会の時、いつものようにボーっと話を聞いていると、ふいに先生が後ろから"しっかり立ちなさい"と言ってくることがしょっちゅうあった。

また、説教の時、職員室の前で説教を待ち構えていると、先生にいきなり "ふらふらするな!しっかり立て!" と言われ、本来の説教される目的など放り捨てられて姿勢についての説教が始まったこともある。
そのときは思わず笑ってしまった。


というかそもそも僕は不良というわけでもないし、わざと悪い姿勢で聞いてやろう的な考えも持っていない。
むしろ二つ目に関しては、最初はちゃんと話を聞こうとしているのにも関わらずこの結果である。


"なんでだよぉぉぉ!!!"


すみません。ちょっと叫んでしまいました。
こればかりはどうしようもないのか。
非常に悩ましい事案である。


あぁ、この癖治らないかなぁ。
治したいなぁ。


あっ、そうだ。


今日1日は姿勢を意識して生活してみるのはどうだろうか。
しっかりした人間に見られるかもしれない。
よし、やってみよう。


名付けて"姿勢ピンピンDay"だ。
(...ネーミングセンスがないのは放っておいてほしい。)


そうと決まれば早速実行である。

まずは電車内。
僕はいつも六駅ほど乗る。
いつもはつり革を持つかんでふらふらしているが、今日の自分は一味ちがう。

"何故なら背筋ピンピンdayだから!"

やはり間抜けな響きだなぁ。
まあ改正案は追々考えよう。

とりあえず背筋を伸ばし、両足で床を踏みしめる。


二駅が過ぎた。
まだ余裕がある


三駅。
ちょっと腰と足が痛くなってきた。


四駅。
けっこうキツイ。


五駅。

クッ

あっ、今静かに歯をくいしばっています。
かなりキツイ。



目的地についた頃には、もうそれはフルマラソンを完走したくらいへばっていた。
思っていた以上にキツイ。
こんなことを1日中やっていたら、背骨がパキッという音ともに終末を迎えるだろう。
さすがにそれは嫌だ。

…今日はもういいかな。

10分で僕の背筋ピンピンDayは終わった。


早かったなぁ。
きっと僕はふらつきと赤い糸的なもので結ばれているのだろう。

"これは運命なのね!!!"

…お姫様みたいなテンションだが、中身はロマンチックの欠片もないな。

まあともかく、僕がふらつきを治すには相当な根気が必要らしい。
さすがにそこまでして治したいとは思わないので止めておこう。


はぁー。
やっぱり長年体に染み着いたものを治すことは難しいんだなぁ。